前回は、脳梗塞になった理由のお話でした。
自分の預かり知らないところで、色々なことが起こった結果、運よく一命を取り留めたのだけど、転科された脳卒中集中治療科のベッドの上で、色々と考えさせられました。
写真はベッド脇の窓から。
もしもあのまま亡くなっていたらどうなったのだろう。
倒れた日は退院の直前だったし、その日に退院することを関係者の方々へ連絡してあったので、きっと驚くだろうなあ、と思ったり、当時は音楽制作の依頼も入っていたので、「死んだので辞退させてください」と連絡もできないし、大分困らせてしまうなあと思ったりしたものでした。
ただ、自分の人生はどうだっただろうと考えた時、後悔の念は全く感じませんでした。もちろん、やりたいことや実現したいことはたくさんあるのだけど、それでも充実はしていたな、と。頭は痛くて吐き気はしていたけど、意識も朦朧としていたので、文字通り死ぬほど苦しい状態でもなかったし、あんな風に亡くなるなら悪くないかな。
多分、多くの人が死を恐れているのだと思う。
誰もが経験するけど、体験談を話せない死というものに対して、儚さや切なさ、人によっては甘美なものとして色々な芸術作品の題材になったりもします。
私も5thアルバムで取り上げたことがあります。
当時はこういったテーマを扱うことに、ある種の申し訳なさを感じていたものですが、今回の体験で大分身近なものになったと言いますか、空想のものでなく、現実的なものとして受け取れるようになったかなと思います。
夜眠れば、当たり前のように朝が来ると思うけど、人って本当にいつ亡くなるか分からない。ちょっとした偶然が重なって、昨日まで元気だった人が今日は息してないということだってあるかもしれません。とはいえ、必要以上に死を恐れると今度は生きにくくなりますね。
誰にでもいつか訪れる死を快く迎えるにはどうするか。
昔から考えられていた話ですけど、ニーチェの言葉にこんなものがありますね。
「人が死を受け入れるのは難しいことだけど、一生のうちに、一度でも心から生きていて良かったと思えることがあったなら、その人の人生は良いものだったと言える」
自分の感覚だと、三途の川も走馬灯もなく、いつの間にか意識がなくなり、いつの間にか意識が戻っていたので、死に直面した時には、多分、後悔する時間なんてないと思います。(意識があったとしても朦朧として頭が働かないと思う)
その時を安らかに迎えられるよう、今日できることは今日のうちに、成したいことを実現するためのことは少しでも前へと進めたい。
ベッドから窓の外を見ながら、そんなことを考えた数日間でした。