誰かさんの不思議

音楽活動の合間に感じる不思議なことを雑談しています。

半分の話

「音楽=歌」という人が少なからずいらっしゃるようです。もう何年も前の話ですが、ある音楽制作会社の方も器楽曲が評価されるのが不思議でならない、というようなことを言ってましたね。私からすると歌も器楽曲もイーブンなんだけど。
日本語の歌、どういうわけか途中いきなり英語が出てきたりするけれど、好まれる理由って意味の分かる言葉が綴られているからなんだろうなって思います。音楽の部分で感情をさらけ出させ、言葉を刷り込む。素晴らしいシステムです。
それに比べて、言葉の入ってない器楽曲、いわゆるインストものは、リスナー側に想像をゆだねないとならない。音楽に想像させる力がないのか、リスナー側に想像する力がないのか、それとも両方か、どれなのかは分からないけど、インストが好まれない理由は、そんなところにあるのかなって思う訳です。
20歳くらいの頃から「音楽は言葉の壁を越えて人の心に直接(言葉にできない)何かを届けられるのに、わざわざ言葉を設けて壁を作ってしまうと、色々な要素を狭めてしまうんじゃないかなあ」と思ってます。
…と、こんなことを書いているけど、インスト万歳、ボーカルさよなら、というわけでは決してないですし、むしろ機会があればボーカルアルバムを作ってみたいと思ってます。ただ、物事の本質を捉えられる人間になりたいな、とも思うんです。