誰かさんの不思議

音楽活動の合間に感じる不思議なことを雑談しています。

因果が分からなかったので

女性がキャリアを捨てて姓を変え、黙々と家事育児だけをしている社会が持続するわけない、と言っている人がいました。そこには多くの賛同者もいるようです。

 

これを聞いて、なるほど、と思いつつ、社会の持続とどういう因果関係があるのかと疑問に思いました。そこで「賛同者らしきみなさんのリツイートに何かヒントがあるかも」としばらく読んでは見たものの、「そのとおりだ」とか「だから私は日本で結婚したくない」、「こういう考えを持ってない日本人が多い」、「100年前のイギリスと同じ」なんて意見ばかりで、社会の持続について話題にしている人はいませんでした。

 

もしかしたら、自分が抱くような疑問はすでに解決済みで、端的なものの言い方をしているだけかもしれません。ここにリツイートする人たちはいわば同士で、女性差別を擁護したい人たちだけの会合のようなものなのかな、と思ったわけです。

 

いつもなら、「ふーん」と通り過ぎるところだけど、なぜかモヤモヤしたものが残ったので、少し考えてみることにしました。ちなみに、差別を推したいわけでもなければ擁護したいわけでもなく、ただ不思議に思っているだけです。

 

まず、社会の持続ってなんだろう?

 

発信者は特に定義していなかったので、きっと現在の経済社会が安定して継続するということなのだと考えました。まさか、人権が平等になることで人々の心が安定し平穏な社会になる、なんていう曖昧な話ではないでしょうから。

 

経済社会は常にプラスしていくことで上手く回っていくといいます。

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変動はあるけど、未来に借金して成長していくということですよね。だから、常に生産性を増やしていかないといけない。こう考えると冒頭に書いた発信者の意味が理解できます。

 

家事育児といった直接生産性に関わらないことをするより、キャリアを捨てずに外で働き、生産性向上の助けになった方が、社会を持続できる、ということです。これを人権という、情に近い部分で話をするから因果が分からず、モヤモヤしたんですね。

 

昔、女性差別の問題解決にお金を出している資本家に、記者(だったかな?)はその理由を尋ねたそうです。やはり、性別による差別がなく、平等に行動できる社会を望んでいるのですか?と。

 

すると、こういう答えが返ってきました。

 

「違うよ。平等だとか差別だとかは関係ない。家にいる女性も外で働いてもらった方が私たちは儲かるからね。それに、子供の教育なんかも早い内に親から離して一元化すれば統制しやすくなるから、社会を動かすのが楽になるんだ」

 

とても理にかなっていて納得できる話です。

 

話の良し悪しは別にして、賛同者のみなさんはこういう話を理解した上で差別反対、という話をしているのでしょうか。リツイートを眺めていると、人権という正義を盾にして、自分がこうしたい、という風に言っているように見えてしまうのだけど。

 

もちろん、個の意識(情)は大切です。個が集まって組織ができ、力になるのですから。

 

でも、情だけでは社会をより良くするための議論はできないんじゃないかな、とも思います。

ツイッターを眺めていると、冒頭の発信者とその賛同者のような情の強いタイムライン(?)が流れてきて、その度にモヤモヤとします。好きと嫌いで話をしても人は納得させられないと思うんですよね。宗教に近い。

 

ツイッターの文字数制限がこういう流れを助長しているのかも、と冒頭の発言とリツイートから感じました。