ゲーム制作のお手伝いをしていると、ふと思い出すことがあります。
昔、まだMIDIデータを音楽作品としてサイトへアップしていた頃、デジタルファミ通で賞を頂いたおかげか色々な方に楽曲を聴いていただき、感想を頂いたりしました。イベントなどで時々「昔聴いてました」なんて声をかけられて、嬉しいやら恥ずかしいやら何となくこそばゆいような感覚を覚えたりしたものです。
その当時、どういうわけか感想と一緒に人生相談のようなメールを頂いたりしました。
彼は確か高校生だったような記憶があるのですが、二十歳と少しの人間に相談するというのはどういうもの何だろうと思いつつ、話を聞いたのです。
彼は将来ゲーム制作に携わりたいとのこと。プログラムですとか、グラフィックといった話はしていなかった気がするので、プランナー(?)の類いだったのかなあ。彼自身はゲームの専門学校へ進みたいが、周りは大学への進路を進めてくるのだとか。
…まあ、当然じゃないですかね。ゲームの専門学校を否定する気はないですけど、大学へ行った方が将来の道がより広がるんじゃないかと思います。つぶしがきくというか何と言うか。
それに今でも思っていることなんですけど、ゲームってゲームの勉強をして作るものじゃないような気がするんですよね。”面白い”とか”楽しい”ということの本質的な部分を感じ取るというのは、日々の経験や体験から身に付くものなんじゃないかな。だから、ゲーム制作を統括するというなら、より色々なことーそれこそゲーム以外のことーを学ぶべきなんじゃないかな。
そこから、そういうことを形にするためにプログラムを勉強する、というのなら話は分かるし、それならゲームの専門学校でなくても、プログラムを体系的に学べる工学部へでも行けばいい。
彼の話を聞きつつ、こんな風に返事をしたのだけど、結局彼はゲームの専門学校へ進む決意をしたのでした。そんな彼は、今頃ゲーム制作者として活躍しているのかなあ?