誰かさんの不思議

音楽活動の合間に感じる不思議なことを雑談しています。

文章から見えること

仕事をしていると、文章を評価されることが、ままある。

説明が分かり易いとか、文章が読み易いとか。

 

自分としては特別に分かり易い文章を書いている意識はないけど、仕事でメールのやりとりをしていると、確かにそうでない文章を見かけることがありますね。説明の順序がデタラメだったり、文章そのものがおかしかったり。申し訳ないけど、こういった文章を書く社会人は、知性そのものを疑ってしまいます。

 

でも、どうしてこういうことになるのでしょう?

 

私の文章を評価した人は「(私が)普段から小説を読んでいるから」といった結論を出していたけど、 小説を読んでいなくても相手に対して分かり易い文章は書けると思うし、小説を読んで身に付くものって主に”文章表現”なんじゃなかろうか。もちろん、文章自体の善し悪しも身に付くでしょうけども。

 

「相手に分かり易く説明できないのは、自分自身が理解していないからである」

 

というような話を以前どこかで聞きました。至言だなあと思います。

 

相手からの文章や発言を聞いて、相手がつまづくであろうこと、知らないであろうことを想像できない、言ってみれば仕入れた情報からの状況判断ができないから、こういう結果になるのでしょうね。

 

子供の頃、「大人はものを考える力に長けていてスゴいなあ」と思っていたものだけど、実際に自分がそういう歳になると、残念な同世代がいたりして少し切ない気分になります。ヤレヤレ。