表面と向こう側
「私を好きと言ってくれる人、遠くにいる友人、できるだけたくさん私と会ってください。いつか会えなくなったとき後悔したくないから」
…と、言っている人がいました。
作家さんということもあってか、言葉をお気に入りにする方もいらっしゃったみたいですけど、個人的にはとても圧迫感を覚えます。あなたはそうでもないですか?
文章中に表れる単語の一つ一つに美しさを覚える響きがあるのだけど、文章を要約すると「私が後悔したくないから、あなたたちの都合はともかく、私に会おうと努力しなさい」と言っているように聞こえるんですね。これが「会えなくなった時に後悔したくないから、自分を好きになってくれた人にはできるかぎり会いたい」というのなら分かるんです。相手に何かを強いるものじゃないからね。
作品はその作家の心が反映されるもの、と私は思います。
この作家さんの作品が好きだったのですが、正直に言いますと、この言葉を聞いて印象が変わってしまいました。「ああ、この人はこういう考え方をする人なんだ」と。こういう風な見方をする人間は邪道なのかな?
音楽や絵画、文章に映像。
表現されたものに触れて美しさを感じたりするけれど、そこに映し出されたものの向こう側を窺い知るのはとても難しいことだと思います。知らなくてもいいことだと思う人もいるでしょう。もちろん、私は否定しません。
でも私は、音楽も含めて自分の発するものに、自分のまごころを込めていきたいなと思うのです。感謝も合わせて。
ま、時々イライラすれどね。人間だもの。