誰かさんの不思議

音楽活動の合間に感じる不思議なことを雑談しています。

創作コラボで

以前、オペレーターようだと関わっていた映像作家氏に言われた事がある。

正確な言い方は忘れてしまったのだけど、自由に作ってみた音楽が映像に合わないということで、じゃあどういう音楽をイメージしてるのかと尋ねた時に言われたような言葉だったように記憶している。お互いの感性をぶつけてビッグバンを起こすことで、創作は…云々、という話だったかな。

まあ、言いたい事は分かる。だけど、それは時間も資金も無限である場合の話であって、有限の世界ではあまり現実的ではないと思うのだ。私が尋ねたかったのは、そのビッグバンをどうすれば起こせるか考えようという話だったのだけど、それは残念ながら相手に伝わらなかったらしい。それならそれで仕方ない。

今、ゲーム音楽を作る機会が多いのだけど、このスタンスは変わらない。

映像の場合は、目に見えない要素を音で感じてもらうためにその映像の意図を尋ねるし、ゲームでもそれは同じで、それは主役(本質)を如何に引き立てるかということ。言葉で言い表せないものを表現するのが常だけど、言葉でしか相手に正確な意志を伝えることはできないと思うのだね。互いの生きてきた時間が違うなら尚更のこと。

きっと前述の氏は、「言われたものにそのまま従わず、私の意図を上回る素晴らしい何かを作って欲しい」と言いたかったのだろうと思う。でも、創作におけるコラボレーションというのは、多少重なる部分があっても基本的には別である。共通のゴールを指定せず、やみくもに走り回っても迷子になるだけではないかね。

とは言うものの、創作ではゴール地点が度々変わることが少なくない。その度にロードマップを書き換えることもあるだろう。ただそれでも、今は霞んでしか見えないであろうゴールはぶれないで欲しいし、それを理解した上で相手の力になりたいと思う。

それをオペレーターというなら、それで構わない。