誰かさんの不思議

音楽活動の合間に感じる不思議なことを雑談しています。

中華料理屋での会話

中華料理屋で食事をしていたら、隣の席の初老の男性二人がこんな会話をしていました。

 

「今日は(夕食)付き合わせてごめんね。家にいてもゴロゴロしながらテレビ見るくらいしかすることなくてさ。(中略)吉野家なんかも安くて美味いから料理もしないし」

 

世の中、これだけ情報がたくさんあれば、やりたいことなんて探せばいくらでもありそうなものだけど、そうでもないのかなと思いながら、結局のところ、やる気がないのだろうなと落ち着いた。

 

別に高尚なことじゃなくてもいいと思う。

 

明日に向かってこんなことをしようかな、とか、そのために少しでもこんなことをしてみようかな、なんていう生きるモチベーションがないと、一体何のために生きているのか分からなくなりはしませんか?それとも、こういう人が世の中の大多数なのか?

 

少々辛辣だけど、こういう人から、世の中は淘汰されていくのだろうなと思います。技術の進歩によって今後もいろいろな職種で人間の手が必要なくなると言われています。仕事がなくなれば、人間はより”本来やりたいこと”をできるはずなのですけど、やりたいことがない人は、多分、他人から言われるまま仕事をすることで保ってきた自己が失われることを恐れるんじゃないかな。

 

年齢を重ねると身体機能の低下とともに、こういったモチベーションも落ちると聞きます。私もおじさんですが、いろいろなことに興味を持って、実際にやってみようと思える人間であり続けたいなと思うのでした。

四死球祭り

今シーズン二度目の野球観戦。メットライフドームへ行ってきました。

前回は二時間前くらいに着いたのに結構な人出があり、欲しかったTシャツも売り切れていたし、グッズショップも入場制限がかかっていたので、今回は二時間半前に着くよう出発しました。

 

流石に春先のような好調さはないので前回のような人出はなく、グッズショップにも普通に入れたし、Tシャツも購入できました。今月30日にも観戦へ行くので、その時のライオンズクラシックユニフォームに合わせたTシャツ。ライオンズブルーは鮮やかで良いですな。

 

しかし、結果は大敗でした。

 

途中まではいい感じで、隣の家族とハイタッチなどして喜んでいたのですけど、毎回中継ぎの無駄な四死球がね。今日は一体何人歩かせたんだろう。

DHに2割満たない打者が入っている打線なんだからもっとゾーンで勝負すればいいのにね。率の低い打者を歩かせて、4番に打たれているって意味が分からん。ファームに上げる投手がいないってことなのかなあ。南川なんかファームで好投しているようだけど。

 

それにしても、阪神ファンが多かった。

 

ビジター用のグッズ売り場に長蛇の列ができているのを初めて見たし、1塁側もおびただしい数の阪神ファン。挙句には私の前と左にもいた。1塁側へ行ってほしいものだが、そうもいかんのかね。そういえば、球場スタッフと阪神ファンが揉めてたのも見かけたけど、なんだろうね。最低限のマナーは守ってほしいものだけど。

 

と、まあ、陽に炒られに行ったようなものだったけど、来場プレゼントでいただいたピンバッチが#11だったから良しとしよう。

本日から開催のAPOLLOに参加してます

本日から第8回APOLLOが始まりました。

booth.pm

前回は2日間開催だったけど今回は3日。自分の音楽を知らない人に聴いてもらえたら嬉しい。

 

今回の出展は以下の三作品です。

先月参加したM3と同じなので、あまりインパクトがないような気もするけど、M3とはまた違った楽しみ方のできる催しですし、APOLLO初出展のアルバムもあるので、良い結果が出るといいなあ、なんて期待しています。

 

それにしても、もう8回を数えるんですね。

 

色々と音楽制作のご依頼をいただいているということもあるけど、出展品目が当初からあまり変わっていないのは、やっぱりどうかと思うので、年末に向けて創作を加速させたいところではあります。頑張ろう。

夢と現実

いわゆる又聞きということになりますか。

こんな記事を読みました。

以前、友人に勧められて読んだマンガに”バクマン。”という作品がありました。

マンガ家達の成功物語であるわけですが、楽な仕事ではないことが描かれているわけです。「マンガ家を目指すのは博打」というようなことも書かれていますね。

 

確かにそうなのでしょう。

生活に必ず必要となるものではないですし、娯楽の増えた昨今、ライバルもたくさんあるのかなと思います。

 

ただ、それでも努力は報われるというか、評価は対価となって還元されてほしいと思うわけです。

 

でも、こういう記事を読むとそういう気持ちも虚しくなります。

バクマン。を読んでいると特に。

 

この方があまりにも不運なのか、バクマン。が美化されているのか分かりません。でも、いろいろな作品で描かれている”努力は報われる”というものは、極々一部のお話で、報われないまま朽ちていくのが大多数なのだろうと思ってしまいます。

 

お世話になっている音楽会社さんからも、最近は映像案件が減っているというような話がありました。

 

モチベーションが落ちる話ではありますけど、これはこれとして向き合って、戦わないといけないのだなと思った一日でした。

勝ち負けから得られるもの

昨今のニュースを見ていると、スポーツマンシップって何だろうと思う。

 

勝負事である以上、勝ち負けは必ずあるし、勝ちにこだわるのも大切かもしれないけど、得られる経験値としてはどちらも同じじゃないですかね。向きが違うだけで。

 

だから、勝っても負けても讃え合うものだし、多分、一流と呼ばれる人ほどそういう姿勢なんじゃないかな。

 

どんな手段を使ってでもとにかく勝てばいい、というのはスポーツじゃなくて、ある種の暴力なんじゃないか?スポーツというのは、相手を負かすためでなく、己を高めるためにあるんじゃないかと思うのです。

 

残念なことに、高校野球でも時折、こういったことがあるけども、願わくば正々堂々、勝っても負けても胸を張って生きられる人生にしてほしいものです。

初めてのブルーレイ…だったが

引越しの祝いにブルーレイドライブを頂きました。

 

今までの映像とは比べものにならないほど綺麗だ、という話を聞いていたので、ワクワクしながら接続してみたのですが、再生しようとすると何故か強制終了してしまい、再生できない。DVDは普通に再生できるのに。

 

何か設定が必要なのかと思い、あれこれ調べてみると、Macでは民生機で録画した映像は再生できないそうなんですね。ドライブを頂いた時に借りたオススメのディスクはTVを録画したものだったので、結局再生できず、ロッカーで眠ることになってしまいました。

 

とはいえ、パッケージ版は普通に再生できそうなので、折角頂いたのですし、ブルーレイの作品を借りてみようとレンタルビデオ店へ行ってみました。最後に借りたのは”サマーウォーズ”か”千年女優”だったか?とにかく久しく行ってなかったので、行ったはいいけど、何を見ていいか良く分からないし、一通り眺めてみると、まだまだDVDが多いようです。

 

結局、面白そうな作品がブルーレイになかったので、借りませんでした。

面白そうな作品はあったのだけども。

 

それにしても、映画って本当にたくさんありますね。

先日もシネコンがあったので上映予定を眺めてみたのですが、それはそれはたくさんある。

 

映画ファンはこういうのチェックしているんだろうなあ。

Youtubeなんかで予告映像も見られそうだし、今度はブルーレイ関係なく何か借りてみようかなと思いました。洋画サスペンスやSFを片っ端から借りてみる、というのも面白いかもしれないな。

”正解するカド”を観ました

これから始まるアニメ作品、としてどこかで紹介されていて、あらすじから面白そうだなあと思っていたものの、その後すっかり忘れていたのですが、いつの間にやら完結したようで、それが期間限定で公開されていると知り、今回観てみました。

 

www.youtube.com

 

今のSFというのはこういうものなのだろうか?

 

あらすじを読んでみると、”幼年期の終わり”のような感じです。

どこからともなくやって来た何者かが、人類を凌駕するテクノロジーを持っているのだけど、侵略することもなく、ただ世界を良くしようとしてくれる。見返りを求められもしない。”幼年期の終わり”では、さらに姿も見せないので尚更不気味なのだけど、”正解するカド”では姿を見せるし、世界を進めるため、というようなことを言っているので、不気味さはあまり感じません。 

幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)

幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)

 

SFの代表的な作品として知られる”幼年期の終わり”をおそらくオマージュしているであろう作品ですし、そこからまた違う”正解”を示してくれるのだろうとワクワクした記憶があります。

 

でも、総集編を見ると腕組みをしてしまいます。

期間限定ですが、一通りご覧いただけますので興味があればご覧になってみてください。好き嫌いがあると思うので、否定するつもりはないんですけど、期待していた作品ではなかったです。

 

幼年期の終わり”の方が清々しいというか潔く描かれていますかね。切ないけど。

 

ひょっとしたらアニメの原作として小説があるのかなと思って検索してみると、どうやらアニメオリジナルらしいですね。でも脚本の方がそのまま小説家でもあるようでした。

 

時代が変わったってことなのでしょうか。

 

私が大学時代に読んでいたミステリの多くは、私より年上だけどいわゆる若手作家が多かったのですが、彼らに対して、老練なミステリファンからは「人物が書けていない」等々バッシングがあったそうです。ただ、当時、私自身はそのように感じませんでした。パズル的な面白さに魅了されていたように思います。

 

今、これと同じようなことが起きているのかなと考えてしまいます。

 

世代格差とでも言いますか、物語に期待する面白さという基準が異なって来ているのかな、と。それこそ”幼年期の終わり”のラストのような気分です。

 

願わくば、ワクワクに始まって、色々と考えさせられるSFを昔のように読めますように。